移植者の声

河野太郎さん政治家/生体肝移植ドナー(2002年)

生体肝移植を振り返って

河野太郎さん

2002年4月16日に、父、河野洋平の生体肝移植のドナーになって、はやくも12年がたちました。あの年に生まれた一人息子の一平も、小学校6年生になりました。父も元気に生きています。

父は、毎日、免疫抑制剤を飲みながらも、移植手術後今日まで一度も痛みも感じないと強がっています。一方、私のほうは、ドナーになった後遺症が今でも残っています。一番深刻なのは、切って縫い合わせた腹筋が今でもよくつることです。靴の紐を縛ったり、足の爪を切ったり、地下鉄の中で変な格好に押されたりしたときに、腹筋がこむら返りのようになります。食べる量も減りました。しかし、おかげさまで私の肝機能は全く問題ありません。

移植の話になると父は、貸した金の利息が戻ってきたようなものだと言い張っています。まあ、元本を返す気はありませんが。
2009年の総選挙前に実現した臓器移植法の改正もあり、少しずつ脳死移植も増えてきました。しかし、心停止後の移植でもできる腎臓移植を待っている患者はまだたくさんいます。法改正で可能になった子供からの臓器提供もいろいろと問題に直面しています。

きっともう少しするとiPS細胞などの技術が進んで、臓器を人工的に造ることが可能になるでしょう。そうなれば脳死移植も生体移植も必要なくなるでしょう。しかし、そうなるまでまだ時間がかかります。その間は脳死移植と生体移植でつないでいかなければなりません。いろんな意味で移植は難しい医療です。でも、一人でも多くの方々にそれを理解していただくために努力するのが私の役目だと思っています。

お世話になった多くの方々に、家族みんな元気ですというご報告を兼ねて。